ミュージアムとの出会い その3

蒸気機関車 D512号機の運転台  
蒸気機関車 D512号機の運転台  

~学芸員という職業~

 

 またまたブログの記入が滞ってしまいました。

仕事以外の活動や特設コーナーへの記入等ですっかりご無沙汰でした。

 

 前回は、クラブ活動の事を書きましたが、今回は、博物館を就職先に選んだ理由を書こうと思います。

 

 当時、日本ユネスコ協会連盟が発行していたユネスコ新聞に「博物館技術者のためのパイロットセンターの建設」という記事が掲載された事がありました。

  ユネスコ活動に携わりたいという希望を持っていた私としては、博物館の仕事をする事が、遠からずユネスコ活動に繋がるかもしれない、と言う自分なりの未来図が漠然と出来上がったようです。

 この事がキッカケで、後年、博物館を就職先を決める事になりましたが、私自身が目指していた電子工学の研究者と言う夢が、ユネスコ活動を通して、いつしか文化活動への興味の方に傾斜していたのです。

 

 卒業間際まで私のクラブ活動は続いていましたが、学校から卒業後の就職先にと勧められたのは、某大手電機機器メーカーの設計部員や船舶無線機器製造会社の研究員にと言う内容でした。

 

 その都度、「1日考えさせて下さい」という返事をしていましたが、結局、3番目に紹介された博物館への就職を決めましたが、その動機となったのは、前にも述べた様に文化活動を通したユネスコ活動への無意識な傾倒であり、博物館への就職という形として意識化されたものだろうと思っています。

 

 後年、学芸員になってから、ユネスコの標識がパルテノン神殿を模したものであり、また、神殿というのは、ギリシャ語でムゼイオン(museion)と書き表し、博物館や美術館と言ったミュージアム(museum)の語源である事を知リ、偶然の一致に驚いたものでした。(因に、「ミュージック(音楽)」という言葉も同じムゼイオンの言葉に由来しています。)

 

 ギリシャ時代の神殿では、色々な神が集い、ミューズの神が音楽を奏でたり、様々な決まり事を話し合ったり、教育的な事なども行われていた場所であると言われています。

 

 後々、別項目でご紹介しようと考えていますが、私が情報処理学会で発表する事になった最初の論文「ミュージアムからムゼイオンへの回帰~博物館におけるメディア活用の視点~」というタイトルも、このユネスコの神殿を隠喩として使い、神々の集うところを情報が集積する所として示しつつ、情報会社会を迎えるにあたり、学芸員の意識の転換や向上を図らなければ、情報化社会の中でミュージアム活動が埋没しかねない、という問題意識を根底にして論じたものです。

 

 このような経過をたどりつつ、学生の頃のユネスコ活動が、そのままミュージアム活動に繋がり、博物館学芸員を職業として、自分なりの社会参加する方法論に行き着いたようです。

 

写真説明/

デゴイチの愛称で呼ばれていた貨物用のD51形蒸気機関車2号機の運転台横を撮ったもの。

1114両という同型機では一番数多く製造された型式の蒸気機関車で、1号機は、現在も京都の梅小路蒸気機関車館に保存展示されています。