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 世の中の出来事は、万華鏡のように少し角度を変え、視点が違えば異なって見えてきます。

コラムー「万華鏡」のコーナーでは、文化や芸術、教育、あるいは、時々の話題など、興味のある事柄について、気付いた事、考え方などを綴っています。

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伐採されたご神木(神代杉)
伐採されたご神木(神代杉)

第1回 「文化」と「文化財」〜ある世界遺産をめぐって〜

 

 昨年、 私のFacebookに、世界遺産が危ないというコメントを書きました。(2013/9/6)

 

 概略は、世界遺産に登録された区域の緩衝地帯にあると同時に、県の天然記念物にも指定されている樹木(神社のご神木)に着生している宿り木を伐採する事の是非を問う、という論調の文章でした。

 

 現実はどう推移したかと言うと、神社と行政との判断によってその補助事業が執行され、伐採に至りました。

 

 一見、 神社側と世界遺産についての行政の対応、条例の解釈とその運用のあり方と言う事で議論が終わってしまいそうですが、ここに、「文化と文化財」という視点から眺めた場合には、事業評価の判断基準に盲点がありそうだという事に気付きます。

 さらに、「文化と文化財」という言葉に対する理解不足とそれらに対する意識の低さが現れている、という視点が今回の『コラムー「万華鏡」』の論点です。

 

 私は、文化とは広義には、「人々の暮らしぶりや営み、行為、行動、など、活動する様子や様式などを表した言葉」だと捉えています。

 

 それでは、もう一方の「文化財」をどう理解しているのかと言いますと、『人びとの「暮しぶりや営み」の結果としての「痕跡」、あるいは、もっと平易に「蝉のぬけ殻のようなもの」』と考えています。

 

 ただ、「ぬけ殻」と表現しますと、何か脱ぎ捨てた要らない物の様に感じられるかもしれませんが、決してそうではありません。蝉の幼虫が土の中で成長して成虫になり、その「暮しぶりや営み」の結果として「脱け殻」が残ったものであり、その「痕跡」が形となったものです。

 また、「暮しぶりや営み」という言葉についても、単に身の回りの生活として限定的に捉えたものではなく、人びとの「様々な活動」を平易に「暮しぶりや営み」と表現した訳であり、創造的な活動も人びとの「暮しぶりや営み」だと考えています。別な言葉で表現すれば、文化が「手段・手法」だとすれば、文化財は、その「結果・成果」と呼べるのではないでしょうか。

 

 つまり、「文化財」とは、そういった人びとの活動の結果として残された「痕跡」であり、文化と文化財との関係は、「文化=暮しぶり=活動=コト」に対する「文化財=痕跡=結果=モノ」として表現する事ができます。

 

 また、「文化財」と言えば「貴重なもの」と言う捉え方がされ、その多くは「希少価値」が評価基準になっていますが、私は、「希少価値」に加えて、「文化財」に内在している「情報価値」にも注目したいと考えています。

 

 そこで、今回の事案に対する「文化と文化財」という視点から検討すると、どういう事が見えてくるのでしょうか。

 

 前提として、本事案の世界遺産とは、「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されている文化遺産であり、その構成資産のうちの一つで、『「信仰と密接に関連した景観」、「人間がそこに文化的な意義を付与した景観」であり、「文化的景観」』として評価されている区域です。

 

 一方、この区域にある神社のご神木は、その自治体が指定した天然記念物のひとつで、自然保全条例によっても拘束されている樹木です。

 行政の判断は、当該樹木(ご神木)自体を保全する為には、宿り木を伐採する方が良い、という県指定の樹木医による判断に基づいており、世界遺産の登録基準としての「文化的景観」を損なう事にはならない、というものでした。

 

 ここで、思い出していただきたいのは、先述した「文化と文化財」についての解釈です。その解釈に、本事案を重ね合わせると、「樹木=文化財」であり「信仰=文化」となります。

 

 文化財である樹木を伐採するという事は、たとえ、天然記念物を保全する為といえども、その樹木に係る宿り木を伐採するという事は、それらをご神木として信仰している人々の営み(=文化)を損ねている、という事になり、結果として、「文化財を守る」という行為が、「文化を損ねている」という結果に繋がっているという事になります。

 

 つまり、ユネスコの世界遺産の登録基準で言う所の、「文化的景観が損なわれた」と判断し得る、という事になります。

 

 今回の万華鏡から見た本事案の風景とは、「文化財を守る」という事の意味とは、本質的には「人々の文化としての暮らしぶりや営み、活動を守る」事であり、「人々の活動を活発にする、振興する」という認識がなければ、いずれの日かその「暮らしぶりや営みがなくなる」と同時に、「文化財を守り、後世に伝える」という本来の目的そのものをも見失う事に繋がる、という事でした。

 

 以上、世界遺産をめぐる視点から「文化と文化財」という事を考えてきましたが、ミュージアムという概念と、エコ・ミュージアムという概念との関連についても、同様の問題点がある様に思いますので、この件については、改めて別の機会に触れたいと考えています。

 

 なお、「文化と文化財」というテーマにつきましては、以前から親しくさせていただいている「ビズデザイン株式会社(https://www.facebook.com/biz.design.Co.ltd)」さまのメールマガジン「ビズマガ」紙上にて触れさせていただいた事があります。

 

 先述しました様に、最近私が関わりました事案については、この「文化と文化財」という事と不可分な関係にある、という思いがしましたので、重複する部分があると思いますが、あえて触れさせていただきました。

(了)

 

2014年6月23日

桝井喜孝

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