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トピックス

5、松井守男画伯 凱旋帰国の橋渡し役は「松岡正剛」さん

 松井守男画伯 凱旋帰国の橋渡し役は「松岡正剛」さん

 

 松井守男画伯が武蔵野美術大学を卒業し、給付留学生としてフランスに渡った後、一時帰国して、郷里・豊橋の豊橋市美術博物館で級友たちによって展覧会が開かれたことがありました。

 

 その折、大手学習塾の先生の元に、展覧会を観た生徒の母親から「是非、絵を観てほしい」という連絡があり、その先生が展覧会を観られた後、以前から親交のあった松岡正剛さんに連絡されました。

 

 松井さんは、その先生からの紹介を受け、一枚の絵を松岡正剛さんの事務所に持参し、その絵を松岡さんがご覧になったのが凱旋帰国に繋がる始まりの動きです。

 

 その後、より大きな絵を観てもらうことになり、その時に松岡さんと同行されたのが東京・銀座の「ギンザ・ソニービル」地下3階にあったフレンチレストラン「マキシム・ド・パリ」の初代フード・ディレクターで、日本にはじめて本格的なフレンチをプロデュースし、その後独立してレストランを経営されていた社長のH女史。

 

 その大きな作品を見ながら松岡さんがH女史に、「日本への凱旋帰国の受け皿として、松井さんのプロデュースをされたら如何だろうか」と進言され、H女史が即断即決して「お引き受けしましょう」と松井さんの初代プロデューサーとして動かれることが決まりました。

 

 松岡正剛さんと言えば、近年では、「松丸本舗」や「千夜千冊」などが話題になったことでも知られていますが、早稲田大学仏文科卒で、編集工学研究所所長です。松岡さんを師と仰ぎ先生と呼ぶ方々が多方面におられますが、私も、松岡さんの「空海の夢」やリチャード・ワーマンの訳書「情報選択の時代」をはじめとした情報論あるいは編著書などでは随分学ばせていただきました。

 

 ここにご紹介する画像は、松岡正剛さんが「Art`87 WINTER No.118 冬号」に掲載された「他方からの出現」と題した評論文で、後日、展覧会のプレスリリースに転載された評論文の画像です。

 

松岡さんはその評論文の中で、

『・・・それは一口に言えば「出現」というものである。私の耳の奥に、リズムの底から、それもポリリズムの底から、立ちあらわれては消えてゆくある正確な「出現」がやってきたのだった。・・・それも、松井の側からの出現ではなく、見る者の側における出現である。見る者の側における出現は、松井の意図が見る者に移行することではない。見る者の側に見る者自身が出現することである。これを「自己の他端への投企」といってよいだろう。・・・』

と表現されています。

 

 現在制作されている絵画は、その頃とは違った画風の絵を描かれるようになっていますが、松岡さんが出会った頃の絵は、正しく、眼もくらむばかりの微細な線の集まり、無数のリズムで構成されていました。

この頃の画風があってこそ、長崎の展覧会に出品された今の画風があり、現在に至る過程の一コマと言え、「遺言」という松井さんの代表作も、後年には、画風展開、画風変容の一里塚と呼ばれるかもしれません。

 

 一方、プロデュースをお引き受けされたH女史は、ソニーの故盛田会長が「大人の社交場」としてソニービルに開かれた「マキシム・ド・パリ」の初代のフード・ディレクターであったという経歴から、文化人や経済界を始め、芸能界などさまざまな分野で顔が広く、人脈も自然と広がっていたに違いありません。

 

 この様にして、松岡正剛さんが橋渡し役になり、「松井守男」というバトンがH女史に手渡されたのです。言わば、この二人が松井さんを日本に再び呼び戻してくれたといっても過言ではありませんし、お二人の広い人脈を証明するように、最初の頃の図録を見ると、松岡正剛さん始め、作家の村松友視さんや、ジャズピアノの山下洋輔さん(学生の頃からの親友)、衣装デザイナーのワダ・エミさん等がそれぞれの松井評を寄せています。

 

 私が最初に松井さんにお会いした京都の展覧会でも、当時の京都市長や京セラの稲盛さん、ワコールの塚本さん始め、関西の経済界の方々、文化人・芸術家の方々にもお越しいただいていました。

 

 この様に、凱旋帰国の第一歩を記すには最適な橋渡し役とプロデューサーだったのではと思いますが、なぜか、その後わが国への広がりは思ったようにはいきませんでした。

例えば、 後に出演することになりましたが 、TV番組の「徹子の部屋」への出演依頼が来ても途中で立ち消えになったりしていました。

 

 勿論、NHKのドキュメンタリー番組「課外授業 ようこそ先輩」などでも取材されていますが、なぜ、これだけの画業を残し続けている松井さんの存在が広がらないのかという疑問がありました。

その疑問の一つ二つが、松井さんとのおつきあいが長くなっていく過程で、直接関わる事になったある出来事や某月刊誌の記事などによって、わが国美術界に覆い被さっている「闇」の存在があるのではないかという事が分かってきました。

 

 そろそろ、覆い被さっている「黒い闇」を白日の下にさらし、私たちの魂からの「白い光」を当て、明るく、そして清廉な世の中にしていかなければ、と思っている今日この頃です。

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