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Action No.5
上賀茂神社・社務所隣接「参籠殿」の襖絵制作:6面+8面(4/15・追加決定)
4月14,15日の両日、Morio 京都 Action 関連事業の撮影スタッフが、東京から到着し、No.1及びNo.2の活動現場の下見と打ち合わせの為に京都に着きました。
14日は、Action No.2の大原・宝泉院の藤井住職の案内を得て、「日新庵」の襖を下見をしつつ、現場確認をしながら撮影時のシュミレーションなどを松井画伯を交えておこないました。
その後、Action No.1の 児童養護施設「迦陵園」ヘ向かい、小島施設長様のご案内の元で、現場確認や撮影に際しての注意事項等の確認を行ないました。
翌15日は、松井画伯や撮影スタッフとともに、三十三間堂の向い側にある養源院の襖絵を見学し、松井画伯は、撮影スタッフと別れて郷里・豊橋のカメラ倶楽部が京都で撮影会をするという上賀茂神社に向いました。
以前、上賀茂神社で展覧会を開催させていただいたというご縁もあり、郷里・豊橋からの松井画伯ファンでもあるカメラ倶楽部が到着する間に、田中宮司をモデルに水彩画を描かれました。
その後、宮司と応接室で 「Morio 京都 Action 」を話題に歓談していた時、宮司から「それなら、間もなく整備が終わる参籠殿の襖絵を描いてもらえないか」という申し出があり、それを受けて、松井画伯も「喜んでやらせていただきましょう」と言うことが即座に決定し、「参籠殿」の襖絵を6面描く事が決まりました。
ユネスコの世界遺産に登録されている「上賀茂神社(正式名:賀茂別雷神社)」の参籠殿の襖絵は、大原・宝泉院の「日新庵」とは違った着想、モチーフが生まれているようです。
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Action No.5
上賀茂神社・社務所隣接「参籠殿」の襖絵制作:8面+6面 計14面(4/15・追加決定)
上賀茂神社の「参籠殿」には、襖を挟んで二つの部屋が隣同士に並んでいます。人るは「藤の間」であり、もう一つは「楓の間」と呼ばれています。
この「参籠殿」が、現在の場所に移築され、真新しくなった白地の和紙の襖に、松井画伯は白の油絵具を使って、全面、白一色の世界を描き出しました。
白の油絵具を使うというのは、Action No.2の宝泉院の襖を描いた経験から、インスピレーションを得られたようですが、この「参籠殿」も神様が宿る空間であり、他の色を使うことによる何らかの意味性が生まれることを排除し、清浄なる世界を描がこうとする意図があったようです。
天と地をつなぐ「光」、「雷鳴」、「神山」、「立砂」、そして「双葉葵」など、上賀茂神社ゆかりの事物を、画伯にしては珍しく、筆致としては別としても具象画を描き出しています。
この、白い襖に白一色で描かれた神山の絵をはじめとした14面の襖絵は、画伯自身も、また、永年画伯の側にいる、アシスタントでありマネージャーでもあるロベールも、そして、キュレターの私・桝井にも、『画伯の代表作である「遺言」に次ぐ作品が出来上がった』という嬉しい驚きが生まれ、和紙に油絵具という、これまでには無い新たな画伯の画業が残されることになりました。
この後、「楓の間」に残されている二面の襖絵が描かれ、全ての襖絵が完成すると、上賀茂神社の田中宮司によって、神様に襖絵が出来上がったことの報告と感謝、そして、その場を使わせていただくことのご報告をする「奉告祭」が、営まれています。
当日の「奉告祭」では、松井画伯を応援されている多くの支援者に囲まれて営まれました。
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翌年の1月、上賀茂神社の田中宮司により執り行われた「奉告祭」と、上賀茂神社からの感謝状授与式の様子。
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