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パラオで鎮魂のパステル画を描く
先頃、天皇皇后両陛下が先の大戦の戦没者慰霊の為にパラオ共和国をご訪問されましたが、同じく、松井守男画伯もパラオに滞在してパステル画を描いています。
二十数年前の事です。
パラオにある神社にお参りをした時に不思議なことがあり、22日間の滞在中に24点ものパステル画を完成されています。その時のエピソードから類推すると、どの作品も鎮魂の思いをもって描かれたようです。
それら24点のパステル画は、後日、東京・六本木の草月会館7F草月ギャラリーで開かれた『松井守男 作品展一九九○・春「無という自由」展』で展示されました。
画面いっぱいにパステルを使って、漢字の「人」の字を描き重ねた作品で、画面全体がキラキラと輝き、観ていた方の瞳から涙がこぼれていたのが印象的でした。
ここでご紹介している作品のサイズは、75㎝×110㎝の作品(No1,No6)や50㎝×32,5㎝の作品(No10,No11)です。
アップした画像は、リーフレットや絵はがきからコピーしたものですが、その他にも手元には30年前から今日までの公私にわたる絵はがきやファックス、リーフレットや図録、記録写真など、その時々の松井さんの動向が窺い知れるものも多く、博物館学で言う二次資料に当たる数々のものがあります。
専門分野は違っても、学芸員という視点から見た場合、はじめて出会った当時、既にフランスから将来を嘱望されておられたのと、直感的に歴史に名を残す画家さんになられるのではと感じ、彼の故事来歴に関する資料を保存しておく必要があると考えていました。
後にフランスが公式画家に指名する程の画家さんとなられた訳ですから、今は、保存をしていて良かったと感じています。
現在、彼の画業を確認しながら、なぜ、この様に芸術の国フランスから評価されているのか、という事を研究者の視点から学問的に検証しており、追々他の資料もご紹介したいと思いますが、何れにしても、これらの資料が活用される機会が訪れんことを願ってやみません。
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