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トピックス

6、もう公開してもよい頃かと・・・

もう公開してもよい頃かと・・・。

 

 以下に書いてある事は、私(桝井)が実際に立ち会った出来事であり本当の話です。

 

 この画像は、今から14年前に松井画伯の売り込みの為にT画廊のオーナーから1億円要求された時の見積書と関係書類のコピーです。

 

 松井守男画伯は、フランスからレジオン・ドヌール勲章ほかを贈られ、2005年の愛知万博や2009年スペインのサラゴサ万博で紹介されるなど、「フランスの至宝」と呼ばれている洋画家ですが、日本ではあまり知られていない理由の一端が、この資料から読み取れます。

画伯の名誉と、近日中に京都での活動を始められるこの時期にご紹介しておこうと思い立ちました。

 

では・・・・・

 当時、松井さんの英仏語版の図録を日本語版として出版したいという旧知の元出版社の社長で出版プロデューサーのS氏と連絡を取っていた時、S氏から某新聞社の事業部が、松井さんの全国巡回展を開きたいという話があるという連絡を受け、私は、早速松井さんと当時のプロデューサに連絡を取り、彼らと会う事になりました。

 

約束の日の数日前になり、S氏からこの画像の書類がFAXされてきた後、電話で「どうも、新聞社の担当者とともに、T画伯(現在50歳半ば以上の方ならよくご存知の画家さん)のご子息で同画廊代表のT氏が同席され、巡回展の費用として1億円を要求するようだが、どうしますか。」という連絡がきました。

 

 そこで、S社長と話し合った末、松井さんに「この話はS社長と私(桝井)が会い、お断りしましょうか」との話をすると、松井さんは「いや、会いましょう。こういう話はこれまでにも沢山ありましたが、本人が出席しないと後で違った風に伝わるから、出席した上で、お断りしましょう」と言う返事があり、この方針で先方と会う事になりました。


当日の事です。

 

場所は東京都内の某大使館の地下にある会員制社交倶楽部の会議室。

先方はT画廊の代表者T氏と某新聞社事業部の担当者。こちらは、松井画伯とマネージャーのロベール、プロデューサーのY女史、そして、紹介者のS氏と私です。

 

 新聞社の担当者から見積り内容の説明の後、T画廊代表のT氏から「プロモーション費用と合わせて1億円を用意して下さい。H画伯のときもこの金額で全国巡回展を開催されている」という話が出されました。

 

 見積書にある様に、5千万円が新聞社側に、残りの5千万円がプロモーション費として画廊のT氏が受取ると言う事のようです。書類には、この時にT氏が口に出されたH画伯とは違ったI画伯の名前が記載されているので、1億円というのは当時の「通り相場」だったようです。

 

 そこで、打ち合わせしていた通り、私から「私達は、そのような方法で画伯を支援しようとは考えておりませんので、この話はお断りします」という趣旨の事を述べました。

 

すると、T氏から「そちらの考えがそうであるなら、こちらは、今後、松井画伯が世の中に出られない様にしてやるが、それでもいいな。」といった脅しともとれるような発言があり、双方、平行線のまま会合は終了しました。

 

 この話のやり取りから、T画廊は、日本の画廊業界でも主流派になるのでしょうし、T氏の父上であるT画伯の名声からしても、ある程度の立場とそれなりの権力を持っていると感じました。

 

 また、注目していただきたいのは、書類の中にある「美術館を貸し画廊のようにする」と言う文言です。

 今はどうか分かりませんが、当時は、美術館の展覧会を新聞社の事業部が自由に企画・開催できると言うシステムが存在していたと同時に、美術業界に於けるお金と権力構造が結びついて、画家さんの売り込みが行なわれていた、と言う事実です。

 

 なお、そのような事が原因かどうかはともかくとして、1986年に、松井さんの日本国内でのプロデュース活動が開始されて以後、レジオン・ドヌール勲章を授与されるまでの間、例えば、テレビへの出演依頼が途中で取り消しになるといった事案などが幾度となくあったというのも事実です。

 

 以上が、松井さんと当時のわが国の美術業界を物語る出来事のひとつですが、次回は、美術館学芸員の意識と評価基準についてご紹介します。

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