ミュージアムとの出会い その2

当時のテキストとバッジ(右下)  
当時のテキストとバッジ(右下)  

~ユネスコクラブの活動~

 

 私と二歳違いの兄と同じ高校に入学後、兄の友人がユネスコクラブの部長をしていた関係から「入部してくれないか」という誘いを受け、ひょんな事から入部することになりました。

 

 ユネスコクラブというのは、国連のユネスコ(UNESCO/国際連合教育科学文化機関)に対して、民間でユネスコ活動をしている高校生によって組織された文化クラブの事です。

 具体的には、教育・科学・文化の分野での諸国民間の協力を促進し、世界の平和に貢献しようとするユネスコの理念を、学生のクラブ活動として学び、且つ、その理念を体現してゆこうとする全国的な学生の活動組織の一つになります。

 

 高校時代の約3年間、学業もさることながら、クラブの部長や加盟17校で組織する大阪ユネスコ高校連盟の副委員長としての活動も含め、学業というよりは、むしろユネスコ活動に青春の一時期を賭け、全力で駆け抜けた感があります。

 

 このユネスコ憲章の前文には、

「戦争は、人の心の中に生まれるものであるから、心の中に、平和の砦を築かなければならない。」

(that since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defenses of peace must be constructed;)

 

という文章がありますが、その頃の若さ故なのか前文の考え方にいたく感銘を受け、今も机の引き出しにその文章を写した手帳が眠っています。

 

 そんなユネスコクラブの活動内容というのは、各校それぞれの活動形態がありましたが、我が校では一年間を通したテーマを決め、そのテーマについての調査・研究を進め、秋の文化祭で発表するというものでした。

 

 また、高校生の意識調査を行ったり、当時、開催が決まりはしたものの、あまり世間には知られる事もなく、盛り上がる途上の日本万国博覧会(大阪万博)をテーマにして、その歴史を調べたり、計画中の会場の模型などもクラブ員で製作して文化祭で発表するという活動を行ないました。

 

 次に、このようにして活動した1年間の成果をまとめ、全国組織である高校連盟の研究論文コンクールに応募し、「優秀賞」と「努力賞」とを2年続けて受賞した事で、文化活動の楽しさや達成感などを味わいました。

 

 その後、ユネスコと博物館との関係にも触れる事となり、ユネスコクラブでの活動によって、電子工学の研究者という夢とは別方向もあり得る事を発見する事となりました。

 

写真説明/

当時、ユネスコクラブ自体が珍しかった為、ユネスコについての学習資料が無く、文部省のユネスコ国内委員会やユネスコ協会連盟などが発行していたテキストなどによって学んでいた。バッジは、国連のユネスコのマークであるパルテノン神殿をモチーフにデザインされたものです。